頭の中はこんなもんです。


今日のお題「ファイルを共有したい」 / 2013年6月27日

クライアントから「ファイル共有をしたいんだけど、どういう方法がいい?」というお題をいただいた。
こちらのクライアントでは、既に社内のネットワークに共有フォルダを設定してあるので、それだけでは要件を満たせない事態になっているようだ。

詳しく聞いてみると、要件は以下の7点にまとめることができる。

現状の問題点や要望
1:社外からアクセスできない ➡ 社外からもアクセスしたい
2:共有しているファイルが更新された際に、関係者に通知したい
3:関係者が、共有ファイルを追加/更新できるようにしたい
4:誰が、いつ、ファイルを更新したのかわかるようにしておきたい
5:ファイルにアクセスできる人(関係者)の制限は、社長が管理できるようにしたい
6:社員以外の関係者とも共有したい
7:設備投資や運用にはできるだけ費用をかけたくない

「社外からのアクセス」を考えると、Webベースのファイル共有サービスが妥当だろう。(できるだけ設備投資とかは避けたいし)
「通知」機能は、メールで通知される事が望ましい。(ガラケーを使っている社員さんもいるし、社外の人の環境はわからないし)
などなどを勘案して、グループウェアのサイボウズLiveをオススメし、テスト導入してもらった。

サイボウズLiveだと、グループメンバー200人まで無料で使えるしね(^_^)

現在、とりあえず社内プロジェクトのメンバー招集まではたった半日でに進行。(ここまでは非常にスムーズ(^_^)v)
これから実際の運用テストに入ります。
うまく進めばいいんだけど・・・。

気がかりな点としては、共有ファイルの取り扱いについて。
ファイルの閲覧や編集には、一旦自分のパソコンにダウンロードしないといけないこと。
編集したファイルを新たに共有したい時には、元のファイルに対して上書きアップロードしないといけないんだけど、これがややこしいと混乱しないかなぁ?と、心配。

そんな混乱を避けたいなら、共有ファイルをオンライン上で上書き編集できるサービスがいいのだけど、それはそれでちと問題もある。

例えば、Google Docs の場合、オンラインでスプレッドシートや文章を作ったり編集したりできるのだけど、各自が Google アカウントを持ってなくちゃダメだし、社外の人もいるので Google Business で一括管理とも行かない。
また、ローカルで作ったエクセルやワードのファイルについては、ダウンロードしてから編集することに変わりがない。
社内の作業環境全体を見直さないといけないので、大変なんだよな。

できるだけ現状の仕事環境に影響がない形で、グループウェアを導入するという意味では、サイボウズLive、いいんじゃないかと考えてます。

あとは、定着するか?ですね。
実はこれが一番のハードルで・・・。

「できるだけ現状の仕事環境に影響がない形で」導入したということは、グループウェアを使わなくても今まで通りの仕事のやり方ができてしまうということ。

グループウェアを使わない日ができてきたり、使わないメンバーが現れ始めると、共有されている情報が古いままになっていたり、古いファイルが最新版として共有されるという事態が発生して、メンバーのグループウェアに対する信頼がなくなって、さらに誰も使わなくなる・・・。という悪循環。悪夢のサイクルに入ってしまいます。

一度こうなると、仕切り直そうと声をかけても、グループウェアを変えてみても、そもそもの信頼を失っているのでなかなか軌道修正は難しく、経験的には不可能に近い。

ですので、グループウェアは評価テストが終わったら、一発勝負と思って使い倒すこと!
特にリーダーは、「グループウェアには最新の正確な情報がある。」ということを担保することが重要です。

自分自身も、気をつけたいものです。はい。

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やっぱり日本語はITには向かない? / 2013年6月22日

先日、日本語版ハフィントンポストで「“俺”ではなく”俺たち”を自慢する日本人」という記事を見つけた。

記事自体の趣旨とは違ったのでけれど、下記の一文を読んで、なるほどなという妙な納得感を感じた。

「あらゆる出来事をネガティブにとらえてしまうのがうつ病だとされていましたが、最新の研究では、彼らの自己認識は正確すぎてポジティブな勘違いができないのだと考えられるようになりました。」

統計的にどうなのかはよくわからないけど、IT業界(特にプログラマなど)にうつ病になる人が多いと聞く。
その原因について、「IT関連の人間にはオタクが多く、すなわち一般的なコミュニケーション能力に問題があり、引きこもりがちな性格からうつ病になるのだ。」的な評価というか判断を耳にすることがあるのだが、やっぱりどうも違うように感じていた。
その「どうも違う」と感じる理由がこの記事を読んでわかった気がしたのだ。

プログラミングという作業は、モノやコトを一つずつ事細かく”定義”して、それぞれが間違いなく正確にコンピュータが処理できるように、ToDoリストを作る作業だ。

モノの定義、コトの定義によってプログラム異なる。当たり前のことだ。

プログラムの開発は、その最初の段階で必ず要件定義というのをやる。
何を作ろうとしているのか?どういう動作をして欲しいのか?というのを、プログラムを作って欲しい側と実際に作る側の間で確認するのだ。

プログラマはそこで決められた定義に基づいてプログラムを書いて行くのだけれど、この段階で問題が発生する。
定義があやふやなのだ。

定義書に基づいて、その通り作ったにもかかわらず、「いや、そこはそうじゃなくて、こういう意味だよ」なんて言われて修正することはしょっちゅう起こる。
その度にプログラマの作業は増える。しかし納期は変わらない。
開発費だって上乗せされることもない。

プログラマからすると、「打ち合わせで、こう定義したことは確認済みだろ。」「自分は定義通りに間違いなく仕事をしてる。」「クライアントの意向が第一なのはわかってる。」「でも、しわ寄せは全部自分に覆いかぶさってくる。」と言う思いがたまる。

はたして、プログラマはうつ病に追い込まれて行くのだ。

定義書が不十分だった?
勿論それもある。
でもそれだけではないように思う。

  • 「そこんとこ、うまくやっておいて」と言う日本人のコミュニケーションのやり方。
  • そしてもう一つは、日本語という言語が物事を正確に定義するには向かない言語だということ。

これら二つのことが、プログラマをはじめとするIT業界人間をうつ病に追い込んでいるのではないか、と僕には思われるのだ。

プログラムする上で、言葉の定義はとても重要で、繊細なものだ。
そういう意味でプログラマは言葉に関してとても敏感な人たちだと言える。

そんな言葉に敏感なプログラマが、定義のあやふやな日本語の世界で(ましてやプログラミングというものに対して、一般的な理解の低い社会において)仕事をするということは、孤立しやすく、理解もされず、うつ病に追い込まれるのは当然のように思われる。

彼らのコミュニケーション能力に問題があるのではない。
いい加減な(「心ない」と言ってもいい)対応や言葉が、彼らを苦しめ、追い詰めているのだ。

デジタルデバイドという言葉があるが、一般的にはITの知識のない者の不利益を問題視しているようだ。
でも、その知識の格差がITのスキルを持っている者を苦しめている現実もあるように思う。

すべての人がプログラミングなどの知識を身につける必要があるとは思っていない。
でも、わからないなりに従事者を慮っていただきたいとも思う。

そして僕は、このITのスキルや知識の有無のギャップを埋める何かを考え出したい。

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機器更新の理由はさまざま / 2013年6月20日

iPhone4S ユーザーの友人から、「今時(iPhone)5を買うのってどうかな?次の(5S?)を待った方がいい?」という相談を受けた。
次の機種を待ったとしても数ヶ月。それに彼女はiPhoneを買ってまだ2年の機種代金の支払いが終わっていないはず。何をそんなに慌てているのか?と、その理由を聞いてびっくらこいた。

「iPhone4用のケースって、最近はもうあんまり売ってないのよねぇ〜。カワイイと思えるのもないから、iPhoneごと変えちゃおうかと思って…。」

だ、そうな。
すごい。
何がすごいのか、よくわからないのだけど、凄すぎる。

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