頭の中はこんなもんです。
「粋な服を着てるね」は、褒め言葉ではない。 / 2011年10月13日
僕の住んでる地域では、「粋な服を着てるね」は、決して褒め言葉ではない。
この場合、”粋”は”いき”ではなく、”すい”と読む。
「”すい” な味やなぁ」「”すい”な格好やなぁ」というのは、「美味しいなぁ」「格好いいなぁ」ということでは決してなくて、「変な味やなぁ」「奇妙な格好やなぁ」ということを意味する。
大阪弁で言うところの”けったいな”に近いニュアンスだ。
んじゃ、なんで”けったいな”ことに対して、”粋な”なんてことをいうのか?
人は行きがかり上、あるモノに対して決して低い評価を下すことができないケースがある。
プレゼントやお土産をもらった時とか、友人が新しく買った服を喜んで自慢してる時とか、友人が子どもに何とも珍しい名前を付けた時などがこれにあたる。
そんな時にこの「粋(すい)な〜」が機能する。
「粋なプレゼント」「粋なお土産」「粋な服」「粋な名前」と表面上は高評価のように取り繕っていながら、実はその言葉の裏には「私は無粋なもので何が良いのかさっぱりわかりませんが・・・」という前置きが隠されていて、決して高い評価をしているのではないということだ。(と、僕は思っている。)
社会の人間関係は複雑で、人の気持ちも複雑に絡み合っている。
そんな複雑な人間関係や気持ちを表す言葉もまた、微妙なニュアンスを含んでいるものだと、”粋(すい)”という言葉を目にするたびに思うのでありました。
こんなところにこういうことを書くと、これ以降、人に「粋(すい)ななぁ・・・」とは言えなくなっちゃうか?
このお話は、あくまで僕の地元のごく狭いエリアローカルの話、ということで・・・。