頭の中はこんなもんです。
おとな / 2009年12月7日
選挙権を18歳からにするとか、法的な「おとな」の定義を見直す議論が少し前にありましたが、最近はまた下火になっていますね。
100年に一度の未曾有の不況で、忘れられてしまったんでしょうか。
おとなというと、子どもに対して反対語のように扱われることが多いのですが、先日読んだ本(新聞の記事だったかも)に「なるほど」と思わせられる定義が示されていたのでご紹介します。
曰く、「おとなとは、引き受ける人の事である」のだそうです。
この世の中には、理不尽なことや邪魔臭いこと、できれば避けたいこと、無理を言えば避けられること、がいっぱいあります。
そんな気のすすまない、でも誰かがやらなければ生活や社会がうまくまわらなくなることがらを、自分の役目・責任として引き受ける人の事を「おとな」というのだと。
むむむ。深い。納得です。
結婚して家庭をもつこと、子どもを授かって育てること、PTAやら町内会の役員をやること、後輩の面倒を見ること、年老いた親の面倒を見ること、地球環境のことを考えてゴミを分別すること、マニフェストを見て選挙で投票すること。。。
どれも面倒だし、避けてしまいがちだし、やらずに済ませようと思えば今の世の中逃げ通せそうにも思える。
でも、それはおとなのする事じゃないんですね。
今の世の中、”おとな”が少なくなってるのかも知れない。
ピーターパン症候群という言葉が生まれてから25年以上になるけれど、おとなになれない人間は益々多くなっているように思う。
なれないというより、ならないことを選択する/ならないことを認めてしまう風潮があるように思えるのです。
「立派な大人」という言葉も、最近は聞かれなくなりました。
僕自身は、”立派”では決してないけれど、おとなとして、引き受けるべきものは引き受けていきたいと思うのでした。